おーたさんです。

おーたかずお公式ブログ

おーたかずお:自称「全方向・全天候型ピアニスト」関西方面で地味にやっております。
技量はまだまだですが、「伝わる」演奏を心がけています。
読みにくい漢字でよく似た名前の人がいますが、別人ということに。

プロフィールの全文をこちらに移動しました。
http://otanokami.officialblog.jp/archives/9180466.html

スケジュールはカテゴリ「スケジュール」から一発で飛べます。
http://otanokami.officialblog.jp/archives/cat_99777.html

2023年3月まで続いたラジオ番組
「おーたかずおの音楽de小話」はYoutubeにアーカイブを置いていただいています。
ポッドキャスト的に流してお楽しみください。

「おーたかずおの音楽de小話」Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCQ9-dE_EqYrXDY7WAXvlJJA

最近の参加アルバムについてこちらでまとめています。
http://otanokami.officialblog.jp/archives/15083031.html

フェイスブックページ
https://www.facebook.com/pianotadez/

Produits Exotiques / Fly me to the Moon
https://t.co/okL4Iif0Js?amp=1
OTOTOY「Play for Japan 2012 Vol.1」に収録されています。
売上が福島に寄付されます。
https://ototoy.jp/_/default/p/26159

不安な時、眠れない時、ちょっと試しに聴いてみてください。
羊シリーズ
https://soundcloud.com/user-502360810/sets/thk4gkeludmk/s-DBu9X

カテゴリ:おーたかずおの音楽de小話 > オンエア振り返り

おーたさんです。



6月15日のオンエアは、
蔵書を整理していて
「死語コレクション」という本を見つけたのが発端です。

明治~大正~昭和にかけて使われていた
今は死語となった言葉を集めた
日本の世相史としても読める本です。




ここに音楽関係の「死語」もあるに違いない、と
めくってみましたらいくつか見つかったので
オンエアで採り上げることにしました。

「オイチニイの薬屋」
「ジンタ」「曲馬団」「活動写真」「ペラゴロ」…

これ、わかりますか?

「美しき天然」と共に当時の「ジンタ」が演奏した定番曲、
「ドナウ川のさざなみ」は、
殿さまキングスによる日本語詩でのカバー
「恋路ヶ浜」を聴いていただきました。


「パロッタ・クラシック / 殿さまキングス」(配信のみ)


そして浅草オペラ全盛期に使われた「ペラゴロ」という言葉は、
もう何のことやらわからなかった、というくらい
現代とはかけ離れてしまった言葉になってしまいました。

浅草オペラの隆盛を象徴するような作品
「女軍出征」については

研究家・小針侑起さんのブログに詳しく掲載されています。

そして、小針さんの監修になる
浅草オペラ全盛期に実際に出演されていた方の歌声が
収録されたレコードから復刻されたCDが存在します。

あゝ浅草オペラ 女軍出征100年と魅惑の歌劇


後に「私の青空」「アラビアの歌」などのヒットを飛ばすことになる
二村定一さんの名前なども見られますね。

45日間連続で大入り満員になる作品があったほど
人気のあった浅草オペラですが、
関東大震災で劇場が被災、
大道具から舞台衣装が消失、劇場が使えなくなったり
ということが原因で衰退し、
1925年を最後に消滅してしまったそうです。

やはりこういった大きな事件のときが
節目になって世の中が大きく変わり、
人の考え方や行動様式も変化していくもので、

さて、21世紀の大きな節目に直面している私達は
どのような変化を求められているんでしょうか!?



おーたさんです。

5月25日のオンエアは、
LINEのビデオ通話での収録でした。

いろいろ遊べるというので、
河原さんは顔にネコひげを描いたり
自分は頭ごと犬になってみたりのやり放題。

その様子はこちらより。



登録お願いします。

さて、この日の選曲は、
キテレツ大百科から「はじめてのチュウ」など、
なんとか辞典の話題に絡めようと無理なこじつけもしました。

そして、
MPB 4 の「De palavra em palavra」



この曲はボサノヴァに対する洒落の効いたオマージュとなっていて、
初めて聴いた時には、クスッとさせられたものです。

曲調はもうズバリ、ちょっと懐かしさを感じさせるボサノヴァで、これはもう間違いない。

タイトルの「一言ごとに」というのは、
「De conversa em conversa」(会話のはしばしに)の中の歌詞の一部です。

そして歌詞は全て、ボサノヴァの有名な曲の一節を組み合わせたもの。
どの部分がどの曲の歌詞か全部おわかりになりますか?

日本語で載せておきますので、
これを手がかりに解き明かしてみられてはいかがでしょうか。


朝、こんなにも美しい朝
そして静寂の中で物思いにふける
ああ、なんということ
私は愛しすぎてしまった
そう、私は企て、考えた
でも世間は悪意と幻想に満ちている
つまるところ孤独だ、というなら、なぜイエスというところをノーと言ったりするの

愛、微笑み、そして花
私のサビアー鳥(ツグミ)、私のギターが
ここに残って私の心を傷つける
そう、私は沢山の詩を書いた
誰も言わないことを世間に向かって言った
幸せになるという幻想を育てた

愛は壊れた時最も悲しいもの
夢を見すぎた人の心のなかで痛むもの
ずっと夢を見ている
なんと愚かしいこと
あなたが再び戻ってくるまで
だってそれがあなたにとって一番のことだもの
でも話のはしばしに
一言一言に込めて言いたかったのは
ジョアン・ジルベルト、あなたに抱擁を
オバララー

エンディングでもさらに、
Aos pés da cruz
Saudade da Bahia
Presente de Natal
O bariquinho

の一節を畳み掛けてフェイドアウトします。

ね、すごく洒落のきいた一曲だと思いませんか?

おーたさんです。

最近のオンエアでは、
蔵出しと称して、
過去のライブ音源をオンエアに載せていただいております。

ネタがないんだろう、という声が聞こえてきそうですね(笑)

それもありますが、
この時期すっかり人前で演奏することもなくなり、

それは自分だけではなく、
ライブハウスが営業自粛を求められる中で
自分だけでなくミュージシャン全体として
活動場所を失っているこの時に、
なんとか生演奏の雰囲気というか
名残だけでも、という気持ちで
やらせていただいております。

さて今回は、
それとは別に、収録時に
ゲストさんに演奏していただいたもの、
おーたさんとセッションしていただいたものを集めた
リストを作成しました。

こちらのリンクから飛んでいただけます。


動画の説明のところに、
何分辺りから、というコメントを入れておりますので、
ご利用ください。

こうやって集めてみると、結構やっていただいていて、
今までなんでこのリストを作ってこなかったんだろうと思います。

2017年8月24日オンエア、これは台風の日に収録したんだったかな?
東京進出を発表する直前
(オンエアの日に今日言います、みたいな話だったかな?)の
ちなげさんにおいでいただいたときのものです。

まさに絶好のタイミングで、この時を逃せば
なかなかつかまらない人になっていたと思うと
おーたさん、なかなかの慧眼でした。

久しぶりに会ったちなげさんの
女っぷりがめちゃめちゃ上がっていて
父親くらいの年齢なのに
おーたさん、ちょっとドキッとしました(笑)

2018年12月3日オンエアは、
バイオリンの外薗美穂さんとの、神回と呼んでいたものです。

収録時にガンで闘病していた共通の飲み仲間に
捧げた演奏でした。

残念ながらオンエア日には間に合いませんでしたが、
天国で聴いていただけていたら、と思います。


2019年3月18日オンエアは、
ちょっと事情があって収録日の午前中にお声がけして
なんと快諾いただいたという
フルートの市瀬由紀さんと。

市瀬さんのオリジナルを演奏していただきました。

2019年7月8日オンエアは、
御大・カオリーニョ藤原さんと、いつものステージさながらに、
おなじみのレパートリーをご一緒いただきました。

2020年1月6日オンエアは
津軽三味線の野崎竹勇雅さんに、独奏で曲弾きを披露していただきました。
それぞれの得意技を披露するという、
名刺代わりの演奏だそうです。

2019年11月25日オンエアは、
ギターの牧野由希子さんが高速でルービック・キューブを6面完成する
様子をエアに乗せたという、なんとも無謀な企画でした。

今は動画で確認いただけますが、
オンエアでは、ただ単に、ガチャガチャと
キューブを回す音だけが流れていたという、
リスナーさんをモヤモヤさせる一幕でした。

また、JC&CのアルバムやPVからの音源を
がっつり乗せておりますので、そちらも合わせてお楽しみください。

2020年2月17日、これが最新になります。
バンドネオンの生島大輔さんとのセッション。

グラバー邸での収録はなぜかタンゴという不思議なことになっております。

また、オンエアには未収録の La Cumparsita の動画も
リストにいれておりますので、
是非ご覧ください。

おーたさんは、ぶっつけ本番でかなり慌てた感じになっております。

ご覧になったあとは
チャンネル登録もしていただけるとありがたいです!
よろしくおねがいします(^^)

おーたさんです。

気もふさぎがちになる今日このごろですが、
うれしい知らせが飛び込んできました。

ナサンゥン・ポルト・リコ オフィシャルアカウント(Instagram)


以前ゲストに出ていただいた、
ブラジルの伝統宗教カンドンブレと
伝統舞踏マラカトゥを撮り続ける
写真家・新多正典さんと作品が


ご自身が5年間追いかけている
マラカトゥのチーム、
ポルト・リコのオフィシャルアカウントで
採り上げられ、コメントされています。


コメントの大意を拙訳でごらんください。

しかし下手な訳でスミマセン。


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日本人写真家新多正典さんの素晴らしい写真は要チェックです!このアナログカメラで撮影した写真は2020年のカーニバルでの私達の子どもチームの記録です。

最後の2枚は、もう5年も前から日本からレシーフェへやってきて私達の大切なチームに付き添って写真を撮ってくれた新多さんの写真集です。


新多さんによれば、1冊目( Explode Coração )は日本で初めてとなるマラカトゥの写真集だったので、指針となるように作ったそうです。オフィシーナ(ワークショップ)、カンドンブレ、街の光景、行進といった、カーニバルのあらゆる話が載っています。


2冊目( Mensageiro dos Deuses )は「マラカトゥはカンドンブレそのものだとわかったので、マラカトゥを街路で行われるカンドンブレとして描写しようとしました」とのことです。

私達はエシュー(2019年のカーニバルで祀られたオリシャー(ヨルバに伝わる自然の神々)で言語とコミュニケーションを司る)についての一文を書き、一章が全てエシューの場面の写真に集約されました。


そして新多さんはこのように結んでいます。「もし私の写真が気に入ったなら、それはナサゥン・ポルト・リコ(新多さんが取材されているマラカトゥのチーム)そのものを気に入っていただけたことになると思います。ポルト・リコを知ってからマラカトゥが大好きになりました。もっとおとなしいマラカトゥもあると思いますが、それは自分が表現したいものではありません。ポルト・リコから目を離さないような作品作りを心がけています。」


新多さん、あなたの作品は素晴らしい!アシェー(新多さんに幸あれ)!


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そしてこちらは、

新多さんにおいでいただいた時のオンエアです。


マラカトゥに触れるようになったきっかけや、

裏話など、お話いただいていますので、

ぜひごらんください。

カンドンブレは儀式を伴う宗教であって、
コミュニティ外の人間が簡単に取材したり
写真を取るということは
なかなか容易ではないと思いますが、

そこで人間関係を築いた上で、
素晴らしい写真集を作り上げた
新多さんのお話です。


写真集:


一作目「Explode Coração」




最新の二作目「Mensageiro dos deuses」


はそれぞれリンク先からご購入いただけます。






おーたさんです。

5月11日のオンエア、

「かずおセンチメンタル」と題して、
ブラジルで目にして思わず涙した光景、ということで、
2つお話させていただきました。

ひとつは、
ミナスジェライス州ジュイス・ヂ・フォーラの市街地から
リマ・ドゥアルテという街に行って、
そこから更に山を登ってたどり着く

コンセイサゥン・ヂ・イビチポッカと呼ばれるところですが、
ここには国定森林公園というのでしょうか?
山林の自然が保護指定されていて
ヨードを含んだ茶色の水が流れる滝や
かつて先住民が住んでいたという洞窟などが
あります。

今は随分観光地化されているみたいですが、

当時は車を持っていなければ、
早朝ににレイテイロと呼ばれる
牛乳を回収して回る人のトラックの荷台に
いくらか払って便乗させてもらって登っていくか、
とぼとぼ歩いて行くか。

レイテイロのトラックに10人単位で箱乗りして、
デコボコの舗装もしていない山道を登っていくんですから、
これはもうワイルドです。

日本ではまあ、できない体験でした。

その山を登ったところに集落があって、
お世話になっていた人が持っていた別荘で
何日間か過ごしたとき、

雨上がりの夕方だったか
まだほんのり明るかったんですが、

光の筋が、ひとつ、すうっと
またたいて消えたのが見えました。

変だな、と思ったのですが、あまり気にもとめないでいると、
周りが薄暗くなっていく間に

段々それが増えてきて
ようやくそれが
蛍だと気が付きました。

無数の光の筋が飛び交う様をみて
自然に涙がこぼれました。

子供の時に、父親に連れられて蛍を見に行ったことがありますが、
あんなに沢山はいなかった。

感動がこみ上げてくる前に、涙って流れてくるんですね。


そして、もう一つは、

休暇を利用して、サンタ・カタリーナ州へ行ったときのことでした。








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おーたさんです。

5月11日のオンエア、

「かずおセンチメンタル」と題して、
ブラジルで目にして思わず涙した光景、ということで、
2つお話させていただきました。

ひとつは、
ミナスジェライス州ジュイス・ヂ・フォーラの市街地から
リマ・ドゥアルテという街に行って、
そこから更に山を登ってたどり着く

コンセイサゥン・ヂ・イビチポッカと呼ばれるところですが、
ここには国定森林公園というのでしょうか?
山林の自然が保護指定されていて
ヨードを含んだ茶色の水が流れる滝や
かつて先住民が住んでいたという洞窟などが
あります。

今は随分観光地化されているみたいですが、

当時は車を持っていなければ、
早朝ににレイテイロと呼ばれる
牛乳を回収して回る人のトラックの荷台に
いくらか払って便乗させてもらって登っていくか、
とぼとぼ歩いて行くか。

レイテイロのトラックに10人単位で箱乗りして、
デコボコの舗装もしていない山道を登っていくんですから、
これはもうワイルドです。

日本ではまあ、できない体験でした。

その山を登ったところに集落があって、
お世話になっていた人が持っていた別荘で
何日間か過ごしたとき、

雨上がりの夕方だったか
まだほんのり明るかったんですが、

光の筋が、ひとつ、すうっと
またたいて消えたのが見えました。

変だな、と思ったのですが、あまり気にもとめないでいると、
周りが薄暗くなっていく間に

段々それが増えてきて
ようやくそれが
蛍だと気が付きました。

無数の光の筋が飛び交う様をみて
自然に涙がこぼれました。

子供の時に、父親に連れられて蛍を見に行ったことがありますが、
あんなに沢山はいなかった。

感動がこみ上げてくる前に、涙って流れてくるんですね。


そして、もう一つは、

休暇を利用して、サンタ・カタリーナ州へ行ったときのことでした。







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おーたさんです。


で、

賛美歌「It is well  with my soul 」(安けさは川のごとく)が
生まれた経緯について書きました。

その後の話で、興味を惹かれた部分について
オンエアでもお話した内容をこちらにも書こうと思います。

もし、ここまでの内容をご存じない方がおられたら、
先程の過去の記事をご覧ください。



彼の教会は、スパフォードがこうした度重なる災難にあったのは

彼の罪に対する神罰だ、と彼を非難し、

スパフォードもそれに応酬するということがあったようです。


教会からの救済も得られず、

また、経済的にも苦労したこともあり、

彼は物質的な成功から魂の巡礼へと、哲学的に変節していきました。


その後、スパフォードは教会を離れ、

自分の宗派を立ち上げて


大人13名、子供3名(遭難事故後に妻ともうけた子どもたち)でエルサレムに移住しました。


そこで「アメリカンコロニー」という集団で

鶏を育てたり、野菜や果物を作ったりしながら生活をし、


そこにスウェーデン人コミュニティーも加わって慈善活動を始めることになります。



彼は宗教宗派関係なく、

また改宗を勧めることを目的ともせずに人助けをしていったので、

エルサレムのイスラム教、ユダヤ教のコミュニティからも信頼を得ることになりました。



また第1次世界対戦中、戦後、アルメニア人虐殺やアッシリア人虐殺の期間を通じて

炊き出し、孤児院、病院などで、これらのコミュニティを助け続けました。



このアメリカンコロニーを訪れた、

スウェーデン人作家セルマ・ラーゲルレーヴ(「ニルスのふしぎな旅」の作者)が

2巻に渡る大作「エルサレム」でこのコロニーのことを書いて、

ノーベル文学賞を受賞しました。


スパフォードの邸宅は現在、

アメリカンコロニーホテルというホテルになっています。

すごくいいホテルみたい。



という、話でした。



この投稿を書くにあたっては、

英語のサイトをいくつか参考にさせていただきました。

おーたさんです。

2月3日のオンエアは、
日本でもまだ数えるくらいしかいないと思われる
ダルブッカ奏者の
森内清敬さんがゲストでした。



なぜまたトルコへ、と伺ってみると、
なんと、大学の後輩だったことが発覚、
一気に近い存在に感じました(笑)

なるほど、そういうことだったのね。

なんの気なしに住んだトルコでの
経験が人生を変えた、という
こちらもまた運命の出会いのお話でした。



1曲めに選んだ、
Armen Donelianの「To waltz or not to...」はこちらのアルバムに入っております。


そして、選んでいただいた
森内さんの師匠、
ムスル・アフメットの音源はこちらです。

そして、

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おーたさんです。

2月17日のゲストは
バンドネオン・キーボード奏者の
生島大輔さんでした。



ギターに始まり鍵盤楽器、
そしてピアソラへと傾倒する音楽人生について
渋い声でお話しいただきました。

生島さんとは旧知の仲でしたが
昨年初めて現場でご一緒させていただいた後に
タンゴのユニットに混ぜてもらって
勉強させていただいています。

グラバー邸の辻先さんのご厚意で
ビールを飲みながらの収録となりました。

後半はスタジオセッションということで
演奏をご一緒いただきましたので
ぜひお楽しみ下さい。

しかしまあ、
昨年グラバー邸で前回収録させていただいた時は
バイオリンの
外薗美穂さんとやはりタンゴを一緒に演奏しまして、
グラバー邸 × おーたかずお=タンゴなのか?

そして、番外編ということで、



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